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勝手にお祝い 西麻布かみくら 開店

銀座久兵衛、銀座鮨一を経た上倉孝史氏が西麻布に「西麻布かみくら」を開店した。
銀座鮨一はミシュランで星をとったとかで、上倉孝史氏の功績が大きかったのだろうし、西麻布かみくらも星をとるのだろう。

開店日が2011年7月18日で世界ネルソン・マンデラ記念日というのも興味深い。

東京都港区西麻布4-2-9 シーズンズ西麻布
03-6418-0655

そのうち行こう。

ちなみに、上倉氏は飯山市出身(市報いいやま 2012年5月号より)と言うことで、上倉城にワシよりもかなり近い人物なのではないかと予想。

上倉城を探す 情報整理編

古い資料を調べていたところ、武田信玄による信濃攻略の課程で、飯山城の支城である上倉城を落としたと書いてある物がある。ちょうど1560年頃、川中島の戦いの頃である。
名字が上倉としては、同じ名前の上倉城があったと言うことに興味を持つのは当然だ。

上倉城に関してさらに探すが、武田信玄関連の一般書籍で、飯山城の事は書かれていても、上倉城に関しては一切見つけることは出来なかった。

そこで、視点を変えて、飯山関連の資料をみると、上倉村という地名が存在していたことがわかった。この村は、現在の長野県飯山市大字飯山のあたりで、江戸から明治7年までの地名だったようだ。それ以前は上蔵郷だったという資料(角川地名大辞典 長野県)もある。

おそらく、上倉城もこのあたりに存在したのだろうが、飯山城とあまりにも近すぎる。上倉城は飯山城だったのではないかという説もあるが、上倉城自体は飯山城の支城であって規模は小さい物だったのだろう。

武田信玄関係の資料を見ると上倉城に関しては、亀蔵城と書かれている物もある。上倉は「かみくら」と読むのが正しいが、現代でも読み方は間違われるし、当時はなまりの関係でそのように解釈されたこともあったのだろう。
この上倉城は、このあたりの地侍衆上倉氏が守っていたようで、清川谷のとんば城がそうだという説もある。

このあたりの資料がまとまっているのは、インターネット上の上野と亀蔵城との関係である。
この方は、角川地名大辞典も執筆しているようで、上倉に関してもこの方が書いたのだろう。

ちなみに、私を含め関東地方にいる多くの上倉は、日本有数の豪雪地帯である長野県下水内郡栄村出身。住宅地図を確認すると、上倉姓はいまでも栄村に多く、野沢温泉村にも多いようだ。しかし、飯山市大字飯山付近に上倉姓はみつからない。

もともと上倉が住んでいたと思われる飯山市付近に、上倉がおらずわざわざ豪雪地帯の栄村に居を構えた理由。上倉城に関する詳細や、武田信玄や上杉謙信との関係など、1500年頃から1800年頃までの歴史をさらに調べると面白いことがわかりそうだ。