クリスマス商業主義批判の矛盾

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信仰の自由は誰にでもあり、ハヌカーだろうが、ディワーリー祭だろうがイド・アル=フィトルだろうが信者は自由にやったらいいと思うが、日本の一般化されたクリスマス商業主義にはうんざりする。
最近はハロウィーンに関しても商業化されつつあるが、日本のクリスマスはキリスト教信者が1%に満たない現状からすると、単なる商業化された宗教上の特別な日はいったい何なのか疑問である。

日本では長い間この状態だが、信者が増えているような事実も無いようでこれが布教に役立っているとは言えないようだ。実際、ローマ法王も過度の商業化については懸念を示しており、信者などの関係者がなんとかすべき課題となっている。
これは、実際にそれを自分のビジネスに利用している人などやるべきことで、部外者が何かしたところで変わるわけが無い。

個人的には、この時期の日本はうんざりするだけなので、この影響が全くない地域に行きたいのだがそれも非現実。かといって、それによって何か行動をすることはそれに関心を示し反応していることになり矛盾となる。

無関心でいることが一番のようだ。

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