スラりん

映画 ドラゴンクエスト ユア・ストーリー は視聴者の想像力を計る

この内容は、映画ドラゴンクエスト ユア・ストーリーの内容が含まれています。

この映画は、ゲームのドラゴンクエストVの内容をそのまま映画にした「映画版 ドラゴンクエストV」ではありません。
ドラゴンクエストVを題材にしたオリジナル映画です。映画の終盤までは、ゲームの内容をそのままなぞっているので「映画版 ドラゴンクエストV」だと思って感情移入しすぎた結果、最後の方でがっかりした人も多いようです。

本人がこの映画で何を考えるか、どんな「ユアストーリー」を作れるかによって印象は変わってくるようです。

それではどのような映画なのか、まずは主な登場人物や世界観を見てみましょう。
映画を見ていない方は、映画を見てから、これ以下の内容を読んでください。

ドラゴンクエスト ユア・ストーリーの世界観や登場人物

バーチャル世界
アミューズメント業界を賑わせている超人気コンテンツ「スーパーリアル体験・DRAGON QUEST EXPERIENCE」
映画の終盤で、主人公がこのバーチャル世界で遊んでいる内容だったことがわかる。

主人公
9歳の誕生日に母からプレゼントされたドラゴンクエストVに夢中になった。
テレビゲームで遊んでいただけだが、ゲーム内の冒険の書が消えたこと、ゲーム内の出来事含めて、ゲームで遊んだ事は主人公の現実の思い出になっている。
本人は社会人になり、現実世界でやらなければいけない仕事は沢山あるが、懐かしいバーチャル世界でドラクエを遊ぶためにほっぽり出して遊びに来た。

リュカ
実世界の主人公がバーチャル世界の主人公用に設定した名前。
(この名前は別途揉めているようです)

スラりん
この物語の序盤、冒険の途中で何かに気づいて主人公に近づき、仲間になるスライム。
冒険の仲間だが、実際はアンチウイルスプログラム。

マーサ
バーチャル世界内の主人公の母親。ミルドラースに連れ去られる。
ミルドラースの違和感を感じ取っていたため「今回のミルドラース」と警告している。
セキュリティプログラムの機能もあったのかもしれない。

老女
フローラとビアンカのどちらかを選ぶか、本当の心に出会える聖水を渡す。
主人公はバーチャル世界開始時に、フローラを選ぶように自己暗示プログラムを設定していた。

ミルドラース
本作のラスボス。マーサを連れ去る。
実際にはミルドラースにウイルスが擬態している。

ミルドラースを作った人間
ゲームに熱中しているバーチャル世界の住人が嫌いでミルドラースに擬態したウイルスを作る。バーチャル世界の住民達に対して「大人になれ」とウイルスを通して伝え、現実に戻らせようとする。
自由を得られる日が来ると信じて、敷かれたレールで成長していったが、そのレールの上でしか生きていけない状態になっている。自由に生きているバーチャル世界を楽しんでいるユーザーが憎い。

映画の流れ

ドラクエVの子ども時代はゲーム画面でのダイジェスト、そこからゲームの流れに沿って3D CGによる物語が進行していきます。

そして最後のミルドラースを対峙する場面で、擬態していたウイルスの真の姿が現れます。

このウイルスは現実の思い出を否定し、バーチャル世界を破壊しようとします。主人公が思い出を破壊しようとするウイルスに対し、強い意志で抵抗し、スラりんからワクチンを受け取り、ウイルスを破壊。世界を救った真の勇者になるというような流れです。

映画版 ドラクエV では無い事はどこで気づけるか

内容を知らない場合、終盤のウイルスとの戦いで、この映画が単なる「映画版ドラクエV」ではなかったことに気づく事になります。
内容を知った上で再度見返すと、スラりんの初登場シーン、老女から受け取った聖水を吞んだ後のシーン、マーサから「今回のミルラドース」と警告されたシーンが終盤のヒントになっていた事がわかります。

ミルラドースに擬態したウイルス

ウイルスの作者は天才プログラマだとされています。そして、バーチャル世界を楽しんでいるユーザーが憎いのだそうです。
おそらく、本人はほとんど遊ばずに勉強漬けの生活のような状況だったのでしょう。その結果、プログラミングに関しては天才と言われるレベルになったが、真剣に遊ぶような経験がほとんど無かったのかもしれません。ウイルス作者はゲームを楽しんだ事が無く、ゲームは子どもの遊び、時間の無駄でしか無い物と認識した、従来からいる大人から見たゲームのステレオタイプのような状態なのでしょう。
そんな、ゲームの楽しみが見いだせず、敷かれたレールの外に行けない生活になってしまっているウイルス作者にとって、ゲームを楽しみ、人生を謳歌しているユーザーは自分の敵という認識になってしまっているのでしょう。

いつも同じ生活をして、楽しみがない自分とは違い、いつまでも子どもの頃の用にゲームを楽しめている敵であるユーザーに、自分の価値観であるゲームは子どもの遊びという概念を押しつけ、ゲーム世界自体を破壊するためにウイルスを作成したのかもしれません。
そこで、ユーザーに対して「大人になれ」などのメッセージを送った上で、ゲーム世界を破壊しようとしたというような事も考えられます。

視聴者にとって「大人になれ」などのメッセージをどう受け取るか

ゲームなんか時間の無駄、子どもの遊び、大人になってからも子どものようにゲームなんか遊ぶな。というような意見を聞き飽きた。そんな昔のことは今さら聞きたくもないというゲーマーは多いようです。
そんな人にとって、映画の主人公に感情移入して楽しんでいる中で、映画の中からそんなメッセージが発せられれば、急に現実に戻ってしまうでしょう。楽しんでいるゲーム世界が台無しになり、腹が立つという状況もありえます。

一方で、ゲームは時間の無駄にも見えるが、他のエンターテイメントなどと同様に、楽しむための時間は無駄とは言えないのが現在の多くの認識になっています。ゲームは時間の無駄、子どもの遊びだという古い価値観のような物はどのようなエンターテインメントにもあり得ます。
そのような状況をわかっていて、ウイルス作者からのメッセージをあざ笑えるような状態なら、なにもアップデート出来ていない頭の固い認識しか出来ない発言で、その発信者の発言は取るに足らない、何もわかってない老人による発言のような受け取りになるでしょう。

この映画を「映画 ドラクエV」だと思って主人公に感情移入して視聴し、価値観の古い発言をいまだに腹を立てるような方にとって、この映画は前世代のむかつく価値観を押しつける駄作に感じるのかも知れません。
「映画 ドラクエV」だとおもってたら、終盤で古い価値観の登場人物が出てくる。今はそんな古い認識を改める必要があるが、古い価値観の登場人物は、映画の中で主人公の強い意志によって倒し、ゲーム内ストーリーだけで無く、バーチャル世界も救う勇者になった。
「映画 ドラクエV」ではなくドラクエVを題材にした、ひねったストーリーの過去の視聴者との現実ともからめた一つの「ユアストーリー」として楽しめるかが試されているのではないでしょうか。

この映画は、古い価値観の発言に拒否反応を示し、自分の中のドラクエVと違う事に違和感を感じてしまうと、映画自体が胸くそ悪い出来になります。
映画の中で価値観の古い発言含めた現実世界とのリンクなど、単なるゲームの映画化では無く、多くのことを想像できる場合は、もう一度視聴し直したくなるゲームの2週目をやりたくなるような作品になる事もあるでしょう。