世間は狭くしているのは自分の行動が狭いからだ

よく聞く話に、どこかに旅行していたら、たまたま旅先で知り合いに出会ったとか、取引先が自分の知り合いだったとかそんなの。

こんなことがあるから、「世間は狭い」とか何とか。

そんな話を聞くと、その人にとっての世間はそれだけでしかないのねと悲しくなる。

実際に、交友範囲が驚くほど広く、知り合いが数千人以上いるような状態の人が似たようなことを言うとそうなのかなと思ったりもするが、そうではない人が何も考えずに「世間は狭い」とか発言しているのは違和感がある。
そもそも知り合いが数千人いるとか豪語している人は、普段どうやってその知り合いとやりとりしているのか疑問ではある。

学生時代の知り合いが、多くても数百人、近所の人でも数百人、仕事上の知り合いで数百人、趣味などのつながりで数百人、親戚なんかで数百人で、合計1,000人程度のなんらかの知人がいるという感じが一般的なのではないかと思う。

世界の人口を50億とすると、1,000人の知り合いは1/500万でしかない。
知り合いが1万人いても1/50万だ。

要するに世の中のほとんどは知らない人達で成り立っているということだ。

それなのに、たまたま知っている人にどこかで出会ったと言うことは、自分の行動がその知り合いなどと似通っているだけの話で、世間が狭いことにはならないのでは無かろうか。

つまり、自分の行動が自分の同じような価値観の知人と同じだからそうなるのであって、全く違う行動をしていれば、世間が狭いなど感じることは減るのではないかと思う。

個人的には、世間が狭いなどと思うような行動ばかりすることの無いように、人とは違った生き方をしたほうが楽しいのではないかと思う。