2016年追記
アルミ缶のプルタブを無駄に外して集める行為は精神論。
NHKで2016年10月27日に放送された「所さん!大変ですよ」「リサイクル業者悲鳴!?“プルタブ取るのはやめて”」より。
アルミ集めの目的なら、わざわざ外して集める行為は、以下の、2008年執筆のブログにあるように無駄でしかない。
以下、2008年執筆のブログ記事。
アルミ缶に限らず、金属缶のプルトップを集めて、最終的に車いすにしようという運動をいまだに続けている人がいる。
本日(2008年9月24日)の毎日新聞読者投稿欄を読むと、地元の小学生が、商店にプルトップを集める箱を設置したから協力しているという方からの投書があった。
この方や、その小学生を指導している教師か誰かはともかくとして、こんな投書を載せてしまう毎日新聞はいったい何なんだ。
そもそも、1990年頃までのプルトップは缶からはずれる構造で、それ自体をポイ捨てしたりすることでの危険性や、ゴミ問題などがあった。そのため、このプルトップを集めるという話は成り立っていた。しかし、現在は、缶からはずれないステイオン構造になっているため、こんな活動自体に意味が無くなった。
もしも、この活動に協力しようと思ったら、缶に固定されているプルトップをペンチなどを使って無理矢理はぎ取るしかないわけだ。そもそもプルトップ自体は本体と同じアルミ製であり、アルミ缶の回収率は100%に近いわけで、これを分けて回収するなんて事は無駄以外の何者でもない。
アルミの純度云々を出してくる方がいる。物質としてみると、本体とふた、プルトップはそれぞれ微妙に異なる材料が使われている事があるが、基本的にアルミニウムという物質だ。
特にリサイクルするならアルミニウムという物質として回収しており同じ物質と考えていい。
プルトップを集めて、アルミとして売り、そのお金で車いすを贈ると言うことなら、アルミ缶を集めて売った方がよっぽどましだ。
現在の相場は知らないが、アルミ缶1個あたり1円から2円程度で売れるはずだ。車いすは物にもよるが10万円前後のようなので、アルミ缶を10万本集めるほうがよっぽど現実的だ。プルトップなら重量がその数十分の一のため、集める量も半端ではない。
1日30本ビールを飲む方が、3,000人ほどいれば1ヶ月で1台の車いすを贈れるわけだ。
こんな投書が数日後の毎日新聞に載ることを期待したい。
追記
2008年9月11日付で朝日新聞滋賀版に同じようなネタが載っているようだ。
プルトップ「車いす運動に」
朝日新聞の読者は毎日新聞の数倍はいると思われるが、誰も指摘しなかったのだろうか?
ごもっともな意見だと思います。ただ、アルミ缶を集めるのも色々と大変なんです。直接活動者にお伺いしたことがありまして、保管場所の確保、衛生面の問題、様々な問題にぶつかって、それでも何か方法はないか、それがプルタブだったそうです。おっしゃるとおり、アルミ缶の方がまだ理にかなって現実的なのかもしれませんが、集める上での問題が生じること、これも現実なんです。
かなさま
コメントありがとうございます。
何のために集めているのか知りませんが、家庭ゴミのアルミ缶なら行政の回収に任せれば、そのアルミ缶はアルミ原料として再利用されます。
アルミ缶を独自に回収する意味はありません。
もしも、それによって集めた資金を使い何かをしたかったら、その集める時間を使って独自に事業活動をした方が効率は良いはずです。
まったく同意見です。私の子どもの通う小学校でもプルタブを集めているのを知って、さっそくプルタブだけ集めるなら、アルミ缶そのものを集めるようにと、意見を述べました。
また、「プルタブ・アルミ缶回収運動」に対して、「アルミ缶回収運動」に変更するようメールいたしました。おそらく聞いてくれないと思いますが。
もう一つ、ささやかな抵抗として、Wikipediaの「プルトップ」の項の「プルタブチャリティー」の最後の文章に、
「実際にはリサイクルされたアルミ缶はすべてまとめられて主に胴体部分に使用され、フタの部分はリサイクルされた材料に、ボーキサイトから作った新しい地金を追加してつくられるので、意味はない。
なお、アルミ缶リサイクル協会では、プルタブ(ステイオンタブ)だけ集めるのは非効率である上に危険だとして、タブを取らずに「アルミ缶そのもの(缶全体)」を集めるよう薦めている。」
を書き加えました。全面的に書き換えると、編集合戦になって、問題になるので、きちんと「アルミ缶リサイクル協議会」の意見を伝えるということで、あくまでバランスをとる程度にですが。
まったく同意見です。私の子どもの通う小学校でもプルタブを集めているのを知って、さっそくプルタブだけ集めるなら、アルミ缶そのものを集めるようにと、意見を述べました。
また、「プルタブ・アルミ缶回収運動」に対して、「アルミ缶回収運動」に変更するようメールいたしました。おそらく聞いてくれないと思いますが。
同意見
ぼくの学校では今プルトップ集めしてますが、このサイトをみて、先生にプルトップだけじゃだめなのをしらせると、「ちがいます」といわれましたが、先生がまちがってますよね?
学校でやる場合、「児童にリサイクルの大切さを教育する」とかなんとか形だけの理由をつけてそれを正当化しようとしますが、頭ごなしに「ちがいます」という教師の場合、教育者としても間違っているかと思われます。
検索かけると、否定と同時に、通信社が美談として採りあげた記事が未だに散見されます。しかも信じている人もいます。
こういう都市伝説を情報リテラシーできっちり見抜く能力こそ、身に着けるべきだと思うんですけどね。
ピンバック: プルトップニウム君 » ssd's Diary
プルトップ集めに関しては、この運動を始めた団体が缶と一体化したプルトップが主流になった時点で、中止であると広めなかった責任は大きいと思います。今日も車イスになると言いながら、プルトップをもぎ取っている人がいることに異常さを感じている次第です。ネットを見ることをしない聞いた話を鵜呑みにして、それが変と気付かない人達、事情を説明してもこちらがその意欲を折ると想われたようで受け入れません。この活動は「悪」です。
プルトップごとアルミ缶は、小学校などの資源回収へ潰して出すのが一番効率が良いでしょう。
後発で出たキャップ集めもコスト面や輸送と同時に発生するCO2問題を考えれば、とても非効率で悪影響しかない状況でしょう。子供たちに確かな目を養わせたいと考えますが、学校がこの手の活動をすることに対して違和感があります。
それ以上に経費が掛かり、活動することが逆効果になっていることは理解していません。キャップ集めではなく一本飲むのを止めて、寄付することでワクチンを!というのなら分かりますが、どうして変テコなボランティアばかり広まってしまうのでしょう。
両方共、止めてほしいと思います。